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昭和61年に廃止され、63年にわたらせ渓谷鉄道として再出発した旧国鉄足尾線の取材記録紹介ページです。 
もっぱら個人的な興味から撮影した写真と記録ですので、間違いがありましたら、ご指摘いただければ幸いです。
このページの内容について、鉄道会社などへ問い合わせることは無用の混乱を引き起こしますのでご遠慮ください。          

足尾線廃止区間の状況(現地調査記録)

足尾本山と間藤駅の間の復活しなかった貨物線跡の紹介です。
予備知識もなくふらりと立ち寄っただけなので、とりあえず現在の状況をご覧ください。  2007年6月17日取材

お断り  写真の著作権は放棄していませんので無断転載はお断りします。

足尾線廃線部の状況

足尾線(間藤・足尾本山間)の略地図
周辺の写真


←間藤-足尾本山間の路線(貨物線)を示した略地図です。
 地図をクリックすると大きな画面で見られます。


 足尾銅山社宅 愛宕下の廃屋群   誰も住まなくなった社宅群はひっそりと緑の中に埋もれていました。

 昔の社宅。木造平屋建ての長屋。

  誰も住まなくなって、ゆっくり緑に帰ってゆく。

 昔の社宅。3世帯分ががひとつの長屋になっている。

  昭和の時代にタイムスリップしたような感じ。。

 かつての生協の建物。

  長屋の間には、レンガで作ったかなり頑丈そうな防火壁がある。


 足尾精錬とその周辺の山   精錬所周辺の川の様子、治山の様子、懐かしい自働販売機の残骸。

 足尾精錬所の外観  対岸から見える精錬所の建物の様子。

 壁板のないやぐら、さび付いた建物。

 錆びているのか?真っ赤になっている。

 この象の鼻のようなものは何でしょうか?

 高い位置にある建物は、外壁板の多くが飛んでしまっている。

 中央に見える送水パイプは、かつての電気軌道跡地を通っている。

 かつては運搬用の電気鉄道がこの上を走っていたらしい。


 足尾本山駅   立入禁止の看板と柵の向こうには、まだ線路が残っています。

  構内には腕木式信号が残っているのが見えました。

  ↑本山構内へかかる橋の様子。(左の写真と同じ場所)

 ←足尾本山構内への入口。頑丈な柵が近づくものを拒んでいます。

  廃線区間を足尾本山から間藤方向に歩いてみました。

 本山を出て最初のトンネル。


 ↑信号制御用の滑車とワイヤが残っています。

  トンネルの向こうが足尾本山です。線路上に落石も見えます。→

  トンネルを抜けたところに場内信号機があります。腕木式信号とトンネルポータルが模型のようです。


  場内進行!(いつのまにか進行現示になってしまったようです)

 ↑長いこと風雪に耐えている腕木式信号。痛々しい。

 ←トンネル内から間藤側出口を見る。ワイヤーは錆び付いていた。

  南橋地区に出たところで土砂崩れで線路が埋まっています。

 土砂崩れ発生箇所。線路は埋まってしまった。


 ↑南橋(なんきょう)周辺を通る線路は草ぼうぼう。

 コンクリートの法面。緑がきれいです。整備してトロッコ走らせたい。→

  小学校の脇にトンネルの出口がありました。学校に続く橋も立派な鉄橋です。

 本山から来て2つ目のトンネル。(間藤側口)


 ↑小学校脇を抜けて線路は続く。

 小学校へ続く立派な鉄橋の上から間藤方向を見る。→

 上の写真の鉄橋を対岸から。

 小学校の横を過ぎると、線路は川を渡ります。

  橋を渡ったところに踏切がありましたが、この部分はレールが撤去されていました。

    埋められた踏切の横には、警報機が立ったままです。

  レールが撤去され道路になってしまった踏切跡。

  ↑踏切から間藤側切り通しを望む。すかり緑で埋まっている。

 ←誰も見なくなったミラーが、来る筈のない列車を待っています。

  緑に埋まった切り通しを抜けると、間藤の駅です。

間藤駅まで降りてきました。 ここからは生きている線路です。

  間藤駅のスイッチバックの跡については、後日調査に行きたいと思います。残っていれば・・・ですが。



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