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三河線 その2          

名鉄三河線(山線)廃止区間の記録



集中豪雨による路盤流出

1999年6月末の集中豪雨により、三河御船枝下間(御船川橋梁近く)で路盤が流出、運転ができなくなりました。

 路盤流出現場(2枚とも1999/7/3撮影)   左にカーブした先が御船川橋梁。ここは線路を歩いてこないとたどり着けない場所です。

 路盤流出は民家のない場所で深夜に発生したようで、
 列車や付近住民が巻き込まれなかったことは幸いである。
 山線は道路から離れた場所を走るので、現場の特定も大変であった。
 (駅では御船・枝下間としか教えてもらえなかった)
 現場を見て一番に思ったのは「どうやって工事車両を入れるんだろう」
 最も近い踏切から数百メートル、反対側はすぐに御船川橋梁で、
 車両が入るのは困難な場所であった。



 
 この区間は山の中を走るため、主要道路と駅が大幅に離れていた。
 代行バスは駅前に入れないため、主要道路に停留所が設置されたが
 駅とは大幅に離れているため非常に利用しにくかった。

 運休期間中は復旧工事現場を見に行く位しかすることがなく
 このまま廃止になってしまうのかと気になってしかたなかった。
 
 踏み切りを渡る電車代行バス

復旧工事

一時は「そのまま廃止」とも言われていましたが、豊田市の対応は早かった。

 復旧工事現場(2枚とも1999/7撮影)  三河御船駅方向                      枝下(御船川橋梁)方向


 営業運転再開日 朝一番の回送(西中金へ送り込み)列車           営業運転一番列車(猿投行き)  (ともに1999/8/13撮影)


 復旧が完了した現場を通過する列車(ともに1999/8撮影)               後は御船川橋梁

崩落現場は道もない場所でしたが、豊田市の機転で付近の地主に対して復旧工事への協力を依頼。
現場への道路が急遽整備され、2ヶ月かからずに復旧することが出来た。
沿線の学生が通学に困るということから豊田市の判断で復旧することになったと聞いているが、
路線廃止の話も浮上していた折、大英断だったと思う。

 営業再開日(1999年8月13日)
 御船川橋梁を渡ってきた西中金行のキハ20。
 運行再開を祝う花束(出発式で贈られた)が正面中央に見える。

 この日は前日にわたって猿投-西中金間のすべての踏切に
 係員が立ち、警報機や遮断機に異常がないか確認していた。

 この日、朝一番から列車を見ていたが、
 混んでいたのは一番列車だけで、あとはいつも通りだった。



 ・・・復旧はしたが、廃止の話が消えたわけでも
          利用者が増えたわけでもなかった・・・


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